あなたは
今のままでいい
── おばあちゃんがくれた、心の家 ──
ゆいママとAOのリアルストーリー
▼ SCROLL
1993年、中国・福建省福清市。山と畑に抱かれた小さな農村に、一人の女の子が生まれた。家は石と泥でできていた。黒い瓦の屋根、コンクリートの床、小さな窓から差し込む細い光だけが、昼間でも薄暗い部屋を照らしていた。貧しかった。本当に、貧しかった。
その家に、新しい命が産声をあげた瞬間のことだった。親戚たちが部屋に集まって、生まれてきた子の顔を覗き込んだ。当時の農村では、男の子こそが家を継ぎ、労働力になり、老いた親を支える「希望」だとされていた。女の子は、いつか嫁いでいく「よそ者」でしかなかった。
失望の空気が、部屋に静かに広がった。誰も喜ばなかった。誰も、その子の名前を呼ぼうとしなかった。
そのとき。たった一人だけ、違う人間がいた。
おばあちゃんだった。
しわだらけの手で、その赤ちゃんをそっと抱き上げたおばあちゃんは、周囲の失望など聞こえていないかのように、静かに、しかしはっきりと言った。
誰も何も言えなかった。
おばあちゃんの声には、反論を許さない強さがあった。失望でも諦めでもない、深い愛が、その一言に込められていたから。
その子こそが、後に「ゆいママ」と呼ばれる、女の子だった。
「また女か」と言われた日に、
あなただけが私を抱き上げてくれた。
おばあちゃんと二人の生活が始まった。
毎朝、おばあちゃんは私を布で背中に縛りつけて畑へ出た。
私はその背中で揺られながら、サツマイモの葉の匂いと土の温かさの中で育った。
学校が始まると、私の生活は少し変わった。
おばあちゃんが縫ってくれた布の通学袋を背負って通学した。
ノートや鉛筆は、決して無駄にできないものだった。
鉛筆が短くなると木の筒に差して使い、ノートは裏まで使い切った。
今思えばそれが「貧しさ」だったのかもしれない。でも当時の私には、それが「ふつう」だった。
おばあちゃんが教えてくれた「ものを大切にする」という、ただそれだけのことだった。
学校では、お弁当の時間が楽しみだった。
週に一度、おばあちゃんは私の弁当に卵焼きを入れてくれた。
醤油の色がうっすらついた、薄焼きの卵。
おばあちゃんは火を使うのがもったいなくて、サツマイモご飯を炊いた後のかまどの余熱で焼いてくれたのだ。
香ばしい匂いが弁当箱を開けた瞬間に広がる。
それが私の、一週間で一番幸せな時間だった。
けれど、学校がいつも温かい場所だったわけではない。
教室での出来事
「お前の鉛筆、短っ!」「ノートの裏まで使ってるよ。」
子どもながらに、私は貧しさを感じていた。
それでも、
おばあちゃんの
「ものを大切にしなさい」という声だけは、
ずっと残っていた。
ある日の放課後、先生が私を呼んだ。
私のノートを見て、しばらく黙っていた。
そうして先生はこう言った。
「字はとても丁寧だよ。続けなさい。」
その一言が、学校という場所を少し温かくしてくれた。
時々、おばあちゃんは
紫菜餅
を作ってくれた。
干しタケノコ、乾燥エビ、ニンジン、ネギ、海苔——どれも少しだけ。
小麦粉の皮で包んで焼く、福清の焼き餅だ。
噛むたびに、もちっとした皮の中から
干しタケノコのコリコリ、エビのうま味が広がる。
焼き立ての香りが、貧しい家の中を
海と山の匂いで満たした。
おばあちゃん
「これを食べたら、どんな日も乗り越えられる。」
おばあちゃんの手は、いつも少し粉まみれだった。
その白い粉が、愛情の証だと、あの頃は知らなかった。
この写真は、
今でも私の手元に残っている、唯一の幼少期の写真だった。
当時は経済的に余裕がなく、写真を撮る機会はめったになかった。
気づけば、
あの頃を思い出せるものは、
この一枚だけになっていた。
食卓に毎日並ぶのは、サツマイモご飯だった。お米にサツマイモを混ぜて量をかさ増ししていた。おかずは塩漬けの菜脯か、豆豉。
卵は週1回の「ごちそう」だった。
おばあちゃんはいつも「もう食べたから、全部お食べ」と言っていた。
ところがある夜、眠れなくて台所に行くと、おばあちゃんが一人で醤油をかけたご飯をかき込んでいた。音を立てないように、私に気づかれないように。
私(心の声)
私はその場に立ち尽くして、動けなかった。それからは、卵をもらっても、素直に食べられなくなった……。だからこそ今、自分の娘には好きなものを食べさせてあげたい。あの夜のことを思い出すたびに、そう誓っている。
貧しくても、おばあちゃんはいつも笑顔だった。どんなに疲れていても、私の顔を見ると目を細めてほほ笑んだ。そしてこう言うのだった。
おばあちゃん(いつも)
「あなたは今のままでいいんだよ。」
その言葉が、幼い私の「家」だった。石と泥の家よりも、もっと深いところに建っている、壊れない「家」だった。
おばあちゃんの笑顔と「今のままでいい」という言葉
——それが私の心の中に、一生かけて根を張っていった。
台風が来ると、家中にバケツを並べた。
ぽたん、ぽたん——水滴の音が夜に響いた。
「不思議なことに、怖くなかった。
おばあちゃんが笑顔でそこにいる限り、
この家は壊れないと、本気で信じていた。
あの場所が、私の最初の『癒し』だった。」
おばあちゃんは物知りだった。
🌳
榕樹(ガジュマル)
「この木は村の守り神や。絶対に傷つけちゃいかん。根っこが地面をどれだけ深く抱いているか、見てみろ。人間も、土地を愛して、守るものや。」
🍈
龍眼(りゅうがん)
「実がなるころには、いいことがある。待つことを怖がるな。実りの時は、必ずやってくる。」
🌿
苦楝(くれん)
「この木はな、苦い。でも薬になる。お前も、そういう人間になりなさい。苦しいことは、誰かの力になるための準備やから。」
🌲
杉(すぎ)
「真っ直ぐ育つやろ。人間も、そうありなさい。どんな風が吹いても、幹だけは曲げるな。」
「私はその木の名前を、今も全部覚えている。それが、おばあちゃんからもらった最初の『教科書』だったから。」
福建人は、昔から海を渡る人が多い土地だった。村を歩けば、どこかの家の壁に小さな表札が貼ってある。「日本在住」「アメリカ在住」「イギリス在住」——世界中の地名が、この小さな村の壁に並んでいた。
幼い私(心の声)
この家の人たちは、今どこで何をしているんだろう……。
ある日、私の親戚の一人が日本から帰省した。村中が騒ぎになった。見たことのない新しい服。鮮やかな包み紙のお菓子。親戚の家には、大きなテレビが置かれていた。その目が、この村に住む誰の目とも違った。疲れているのに、輝いていた。苦労しているのに、誇らしかった。
村の人々
「三分天注定,七分靠打拼,愛拼才会赢」
「日本に行けば、人生が変わるよ。」
その目が、幼い私の胸に火をつけた。行こう!
大人になったら私も日本に行って自分で道を開こう。
高校に入ると、私は働き始めた。
周りの子たちが笑って遊んでいる時間も、
私は小さな硬貨を、一枚ずつ貯め続けた。
日本へ行く——
その夢だけを、ずっと握りしめていた。
疲れて眠れない夜もあった。
「本当に行けるのかな」と、
不安で胸が苦しくなる日もあった。
それでも諦めなかった。
おばあちゃんの背中を見て育ったから。
私(回想)
「ある日、掃除中に貯金箱を落として割ってしまった。
その瞬間、何年分の祈りが床に飛び散った。
私は慌ててひざまずき、一枚一枚の硬貨を拾い集めた。
カラン、カラン——その音が『始まりの音』のように聞こえた。」
ある夜、おばあちゃんが小さな布の包みを持ってきた。
包みを開けると、くしゃくしゃに折れた紙幣があった。汗で滲んで、端が破れていた。何年もかけて、少しずつ貯めたお金だった。私は何も言えず、一枚ずつ丁寧に伸ばした。
おばあちゃん(しばらく黙ってから)
「行っておいで。どんなに大変でも、決して諦めないって約束して。お前は私が育てた子や。弱くない。」
出発の日、夕暮れの中でおばあちゃんが手を振った。振り返ったら泣いてしまうと思った。だから私はただ、前を向いて歩き続けた。おばあちゃんの声が、いつまでも背中に聞こえた。
「お前は飛び立つ鳥や。
ここに閉じ込めてはいかん。」
──私が日本に来た理由は、ただ一つ。
おばあちゃんの背中を、
誇りに変えるために。
飛行機を降りた瞬間、私は自分がどれほど小さいかを知った。言葉が通じない。文化が違う。看板の字も、電車のアナウンスも、何一つわからない。コンビニでアルバイトをして、語学学校に通い、節約のために一日一食で過ごした夜もあった。
生きるために必死だった。新橋の活気あふれる蕎麦居酒屋で注文を取り、デパートの華やかな売り場にも立った。色んな仕事を経験した。慣れない接客、厳しい言葉に落ち込む日もあったけれど、立ち止まるわけにはいかなかった。
私(回想)
「夜、一人で狭い部屋に帰ると、静けさが押し寄せてきた。誰も私の名前を知らない。誰も私を待っていない。そう感じると、涙が出た。そのたびに、おばあちゃんの声を思い出した。
『お前は私が育てた子や。弱くない。』その言葉だけが、灯台だった。」
やがて、私に一人の娘が生まれた。その子の顔を初めて見た瞬間、私は思い出した。あの日、親戚たちが「また女か」と言った部屋を。そして、おばあちゃんが私を抱き上げた温かさを。
私(心の声)
「この子には、好きなものを食べさせてあげたい。美味しいものを、お腹いっぱい食べさせてあげたい。貧しくて卵さえ我慢した、あの日々を、この子には絶対に経験させたくない。」
しかし、やがて私はシングルマザーになった。一人で娘を育てることになった。お金はなかった。誰にも頼れなかった。中国にいる家族も、自分たちの生活で手一杯だった。
娘が眠ったあと、私は一人で泣いた。どうすればいいかわからなかった。この広い日本に、頼れる人が誰もいなかった。
私(回想)
「あの夜、どれほど心細かったか。娘の顔を見るたびに、『絶対に守る』と言い聞かせた。おばあちゃんが私一人を育ててくれたように、私も一人でこの子を育てると決めた。」
おばあちゃんも、一人で私を育てた。
貧しくても、誰にも頼れなくても、
いつも笑顔で、
「あなたは今のままでいいんだよ」と言ってくれた。
私もそうなろう。
娘の前では、笑顔でいよう。
どんな夜でも。
シングルマザーとなった私に、残された選択肢は少なかった。東京での生活は限界だった。お金がない。頼れる人がいない。そのとき、群馬県に遠い親戚がいることを思い出した。
私(回想)
「プライドなんて、捨てた。娘のために動けるなら、何でもやろうと思った。群馬に行けば、少なくとも一人じゃない。それだけで、十分だった。」
娘を連れて、私は群馬へ向かった。東京の喧騒を抜けると、窓の外に田んぼと山の景色が広がった。どこか、故郷に似ていた。その景色を見ながら、私は少しだけ、息ができた気がした。
知らない土地。知らない人たち。
それでも娘の手を握りながら、
私は思った。
おばあちゃんも、何も持っていなかった。
でも、笑顔だけは持っていた。
私にも、それがある。
群馬に来た頃のことだった。シングルマザーとなり、お金も余裕も何もなかった。中国にいる家族にも支援する余裕はなく、誰にも頼れなかった。そんな中で、知らせが届いた。
おばあちゃんが、逝った。
帰れなかった。
お金がなかった。
娘がいた。
何もできなかった。
おばあちゃんの最期に、
私は傍にいられなかった。
あの背中に、もう一度触れたかった。
「行っておいで」と言ってくれた声を、
もう一度だけ、聞きたかった。
娘が眠ったあと、私はずっと泣いた。声を殺して、泣いた。おばあちゃんに会いたかった。あの笑顔が見たかった。「あなたは今のままでいいんだよ」という声が聞きたかった。
私(回想)
「おばあちゃんは、私に一番大切なものをくれた。笑顔と、承認。それだけで、人はどれほど強くなれるか。私はあの夜、初めてそれの意味を、本当の意味で理解した。」
おばあちゃん、ごめん。
最期に会いに行けなくて。
でも、あなたがくれたものは、
全部、ここにある。
笑顔。
「今のままでいい」という言葉。
どんな夜でも壊れない、心の家。
それを持って、私は生きていく。
時間は流れ、
今では両親との関係も少しずつ変わっていった。
人は、愛を受け取ることで、
また誰かを愛せるようになるのだと思う。
気がついたら、私はいつもおばあちゃんのことを考えていた。貧しかった。苦しかった。でも、おばあちゃんの家には必ず「帰りたい」と思わせる何かがあった。それが何なのか、ずっと考えていた。
答えは、シンプルだった。
私(気づき)
「おばあちゃんはいつも笑顔で迎えてくれた。そして必ず言ってくれた。『あなたは今のままでいいんだよ』と。ただそれだけで、私はどんなに傷ついていても、あの家に帰ると癒された。笑顔と承認には、人を癒す力がある。」
おばあちゃんから学んだ「癒しの三つの力」
😊
笑顔
どんなに疲れていても、どんなにお腹が減っていても、おばあちゃんは私の顔を見ると目を細めてほほ笑んだ。その笑顔が、「ここは安全な場所だ」と教えてくれた。言葉よりも先に、心に届くものがある。
🤝
承認
「あなたは今のままでいいんだよ」——おばあちゃんはいつもこう言ってくれた。何かを成し遂げたからではない。ただ、存在しているだけで認めてもらえる。その言葉が、私の芯を作った。
🏡
帰れる場所
石と泥の貧しい家だった。でもそこは、いつでも帰りたいと思える「家」だった。笑顔と承認がある場所は、どんなに小さくても、人の心の「家」になる。おばあちゃんはそれを、言葉ではなく生き方で教えてくれた。
「孤独な夜に私は身をもって知った。笑顔と承認には、人を癒す力がある。だから今、私はその力を誰かに渡したい。」
群馬県伊勢崎市。親戚を頼って辿り着いたこの町で、無我夢中に3年半働き、私は「スナックバーAO」を開いた。
私(ゆいママ)
「おばあちゃんの家がそうだったように、ここを『帰れる場所』にしたい。自宅でも職場でもない第三の居場所として癒される場所。笑顔で迎えること。話を聞くこと。『あなたは今のままでいいんだよ』と伝えること。それだけが、私がここに立っている理由です。」
カウンターの向こうに立つ私は、あの日の背中を背負っている。サツマイモの匂いと土の匂いと、くしゃくしゃの紙幣と、台風の夜のバケツの音と。おばあちゃんの、すべてを。
今、私はもうひとりじゃない。
隣で笑ってくれる仲間がいる。
支えてくれる人がいる。
一緒に「おかえり」と言ってくれる
女の子たちがいる。
血は繋がっていなくても、
気がつけば、家族みたいな存在になっていた。
おばあちゃんが私にくれた「心の家」は、
今、AOという場所になって、
少しずつ広がっている。
だから私は、
この仲間たちと一緒に、
これからも歩いていきたい。
記 憶 の か け ら
おばあちゃんの笑顔
汗で滲んだ
くしゃくしゃの紙幣
台風の夜のバケツと
「安全」の音
娘と二人
群馬への道
おかえりなさい
おばあちゃん、聞こえますか。
誰も喜ばなかったあの日、
あなたに抱きしめられるだけで、
私は救われていた。
最期に会いに行けなくて、ごめんなさい。
でも、あなたがくれたものは全部、ここにある。
笑顔。
「今のままでいい」という承認。
帰れば癒される、心の家。
今夜も私は、その全部を持って
カウンターに立っています。
娘を不自由なく育てるために。
誰かが癒される夜のために。
おばあちゃん、
あなたが私に作ってくれた「心の家」を、今度は私が皆の「第三の居場所」として
ここにつくりました。
ここからが始まりです。